『後藤は思う』 Vol.2 2008年1月
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あけましておめでとうございます。
   今年は「環境元年」だそうです。何かおかしいですね。
   マスメディアは地球環境のことを盛んに取り上げています。一般人が見るのかはわかりませんが、私が当初から関わっている環境gooの調査では、環境情報の入手先はマスメディアが一番多いですので、啓発という意味では結構なことと思います。
しかしながら、いろいろな情報を綜合すれば単に「啓発」していればよいという呑気な状況ではなく、具体的な政策はほんとうは「待ったなし」です。
ジャーナリスムの本来の役割は批判精神であり、気候変動については次の3つのことに触れないものはメディア失格と思います。

1. 排出権を買うために巨額の税金を投じていること
  京都議定書での第一次約束期間の6%は手始めの実験でしかない。政策さえよろしければ6%の削減は困難ではないにもかかわらず、単に国際公約を守るためにか(?)、安易に排出権を購入するなどもっての他と考える。
どうしても買うからには先にやるべきことは多くあるはずである。
たとえば、「炭素税を導入して排出者負担で購入する」、「排出権マーケットを国内的にも設置する」、等々いろいろ考えられる。

2. 2007年のバリ会議で数値目標が取り入れられたことの報道がないこと
  バリ会議は気候変動枠組条約(UNFCCC)のCOP13とMOP(CMP)3の両会議であった。マスコミの報道は大本営発表の垂れ流しそのものである。「COP13では確かに数値目標は入らなかったが、アメリカや途上国を巻き込んだことは成果であった。」
このことは評価するが、本当に日本の努力の結果なのか疑問が残る。
問題はMOP(CMP)3では激論の末に、数値目標が入っていない文書ではなく、数値目標が入った文書が採択されていることである。
下記URLの一番下のAWG 4の文書の一ページ目に数値がある。
http://unfccc.int/meetings/cop_13/items/4049.php
AWG 4
Review of work programme, methods of work and schedule of future sessions (109 kB)
京都議定書を批准している日本や欧州は2020年までに1990年比25〜40%の削減ということをきめているのである。最終的には2009年のコペンハーゲン会議できまるようであるが、最低限25%は確定しているのである。
さらにIPCCの第4次レポートの扱いが大きいことであるがこれは後述する。

3. 原子力の問題
  気候変動は原子力の力なくしては解決不可能という意見はジェームズ・ラブロックをはじめとして多くの人々の意見である。
筆者は、「つなぎ」として特に日本では原子力は必須と考えているが、他方で原子力だけでは気候変動は解決できないとも考えている。
途上国での原子力発電は管理の問題、放射性廃棄物の盗難等、テロがらみで考えても簡単ではない。安全な高速増殖炉はとても間に合うとは考えられないし、ウラン自体は枯渇性資源である。早ければ2030年にも需要と供給が逆転するとの説もある。核融合炉にいたってはいったいいつ可能となるのか。
さらに、日本では事実を捻じ曲げて「原子力は安い」という形で運営されていることである。廃炉費用、廃棄物管理、治安管理コスト等々考えれば今の何倍ものコストがかかっている。
米国でスリーマイル島事件以来、新設がなかったのはコスト的にペイしないというのが最大の理由であった。昨年来再開の動きがでてきたのは原油が100ドルにもなろうという動きからコスト的にペイするからである。
日本は不当に「安い」としたことで自然エネルギーの開発も阻害しているのである。風力発電の技術の多くは欧州に押さえられてしまっているのが現実である。「日本の優れた環境技術」というのは一部企業、業種を除いて錯覚以外のなにものでもない、ことも報道されていない。

   こうした問題があるにも拘わらず政治は混迷の極み、行政は縦割りの弊害で対立抗争している有様である。戦略的に動いている欧州、政権が変わればガラッと替わる米国にこれで勝てるわけもない。「お上」の方針で横並びに動いて成功してきた日本パターンは、今の状況では「失敗パターン」以外の何者でもないと考える。グローバリゼーションの中で日本企業が生き延びるためには、政府やドメスティクな一部業界とは無関係に独自の方針をバックキャスティング的に策定することに直ちに着手する以外なかろう。

追記
  バリ会議でのアクションプラン(下記URL)ではIPCCの第4次レポートの扱いに重きを置いている。
http://unfccc.int/meetings/cop_13/items/4049.php
COP 13 Bali Action Plan (101 kB)

   第3次レポートまでの扱いは”Noting”であったのが、第4次レポートは”Responding”となっている。すなわちアクションプラン決定にあたり、「参考にして」ではなく、レポートに「答えて」ということである。180ケ国以上が「第4次レポートをそのまま政策の基盤としてうけいれた」のである。
年末・お正月番組でトンデモ学者がいまだに温暖化に疑問を呈するのを垂れ流している大マスコミの罪は大きい。

   科学を発展させてきた西欧と日本の認識の違いが現れているようにも感じる。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、等々が異端審問におびえ、ジョルダーノ・ブルーノの火刑を経て、デカルトでさえ異端審問におびえ方法序説の発刊を30数年間差し控えたことなど、血で獲得したのが科学であり、”Natural Philosophy”から”Science”になったのは18世紀末といわれる。日本は19世紀半ば過ぎの明治維新以後に和魂洋才として「技術」として受け入れたので「科学」に対する尊重、畏敬の念が無いのかもしれない。西欧では「技術」は学問ではなかったので、工学部ができるのは東大の工学部にはるかに遅れをとったのである。逆に、日本ではいまだに科学が根づいていないのかもしれないとも思う。

   「いまだに科学が根づいていない」とすると、それも場合によってはチャンスかもしれない。西欧の科学は宗教との戦いを血で勝ち取る過程で「倫理とは中性」という性格を身に附けたことが現代の科学技術の暴走につながっている。日本で科学を根づかせるためにはこの「科学と倫理」の問題を徹底的に追及することも必要のように感じている。

後藤敏彦
環境監査研究会代表幹事
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