『後藤は思う』 Vol.12 2011年1月
新年明けましておめでとうございます
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 100年に一回の金融大恐慌(?)とのことです。2001年9月11日の翌日、「これはアメリカ型グローバリゼーションの終わりの始まり」と書いた記憶があります。まさに、「終わった」と考えたい。企業に公的資金を投入したことによって、行き過ぎた金融自由化、市場中心主義には修正を迫られることは必至ですが、次なるアメリカの再生が注目されます。

 金融問題がなくても環境問題、資源問題の深刻化からみて、農業革命、産業革命に次ぐ文明史的大変革期だと考え、そのように語り、書いてきました。
考えようによっては実に面白い時代に生きていると思います。

 不況の影響で企業も個人もある程度縮こまるのはやむを得ないと思いますが、問題は縮こまっている間に何を考え、何をするかだと思います。
日本人の農民メンタリティだと、嵐が過ぎるまではとにかくじっとしていよう、ということになりそうです。嵐が過ぎればまた前のように晴れるだろうというものです。しかし、この文明史的変革期では、ただ縮こまっているだけでは前と同じ晴れの日は来ないのではないか。
欧米の狩猟民メンタリティだと、縮こまっていてもターゲットに狙いを定めているように思われます。

 我々も、少し縮こまっている間に、狙いを定めようではありませんか。
夢をもてるようなターゲットを打ち出す政治が欲しいところです。私が総理大臣なら、「21世紀中に、日本人の力で宇宙エレベーターを完成させよう」くらいのことを言いたいのですが、残念ながらさまざまな理由でそんな指導者をもてそうもありません。
それでは我々は何をターゲットにするか、極めて明確です。文明史的変革のシナリオ作りです。嵐の後に、活き活きと心豊かに暮らせる社会、そうした社会に役立つ企業のためのシナリオ作りです。これがCSRの本質的議論だと考えます。

 CSRといえば、今、雇用問題でその本質が問われています。
 かつて殆どの人々が農牧民であった時代には、天候に左右されるものの基本的には生活手段があったが、現代社会では働く場のない人は生活できません。国とか自治体という人工の法人のせいにするのでなく、社会全体で働く場を作り出していくのがソーシャル・ガバナンスだと思います。Man made manの中でも冨を生み出す企業に多くの期待がかけられるのは当然です。
法律は遵守しなければ罰する、という社会のミニマム・ルールであり、そもそもは利害調整の上、というよりは最も権力に近いものの利の産物ともいえます。
社会全体としては法律だけでなく、ソーシャル・ガバナンスのための倫理道徳というルールも個人だけでなく法人にとっても必須遵守次項です。
 第2次大戦後の廃墟の中から、雇用をまもりながら企業を発展させた大経営者や三等重役(死語ですね)、ニコヨン(これまた死語ですね)という働く場を作った政治、の経験もあります。
欧州風にいえば、ソーシャル・コーヒージョン復活の絶好のチャンスとしたいですね。


後藤敏彦
環境監査研究会代表幹事
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