書評: 『中国人の宗教意識(The Religious Consciousness in Medieval China)』
         吉川忠夫著,椛n文社発行
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 前回の書評でお知らせしたとおり,今年の講書始の儀で,天皇・皇后両陛下は吉川忠夫氏から「後漢・六朝時代における中国人の仏教受容」についてお聴きになられました.この内容に比較的近そうな書籍として「中国人の宗教意識」があることを知りましたので,入手して読んでみました.


 吉川氏の問題意識は,白川静氏が「本来,中国には,人間の運命を左右するような,人間の存在そのものを支配するような神という観念はありません.自然神と祖先神という,いわば二元的な考え方です.そういうことから言えば,中国には本当の意味での宗教はなかった.ですから,罪という意識や懺悔(ざんげ)という意識はないし,復活という考え方もない.部分的にはそういうことを説くものがあっても,基本的にはたとえばキリスト教のような宗教というものはありません.」と語ったことに対し,少なくとも後漢末期の仏教受容期以後は「罪の意識の自覚」が存在し,近代に至るまで継続していることを指摘したものである.仏教だけでなく道教でも,深刻な罪の意識や懺悔が見られるとしている.儒教はただ現在のことを説くだけであり,こうした問題とは関連性が薄いとしている.


 たしかに,CSRやSR(Social Responsibility)を考える前提として,罪の意識や懺悔が社会に浸透していることは必要条件だと思われる.キリスト教の伝統の薄い中国や日本でもCSRやSRを考えることができるとするならば,こうした仏教を機縁とした罪の意識は貴重なものだと考えられる.
 中国等から仏教を始めて受容した時代に生きた(日本の)聖徳太子には,「片岡山の飢人」や「息子の山背大兄王の自害」など,それ以前の時代には無かったような罪の意識の片鱗が見られる.やはり,この辺が日本の思想人のルーツなのかもしれない.
 ただし形式的には近代まで継続しているとしても,中国では唐代以降現代に到るまで一貫して専制政治体制がしかれており,その中でこうした宗教意識が健全に継続してこられたのかは不明である.吉川氏も英語の書名を「The Religious Consciousness in Medieval China」としており,近代については深く検討していない.現代の中国でCSRやSRが健全に成り立つのかは不明であるが,素質としては可能性があるとは言えよう.


 仏教が中国人の罪意識の形成になした最大の功績は,輪廻応報の思想に基づく「三報論」であるとしている.


 従来中国では,「積善の家には余慶有り,積不善の家には余殃有り」とう易経等の応報説で対処されてきたが,これでは「権謀術数を用い悪逆をはたらいた斉や楚の王室が栄え,反対に賢哲の顔回や冉伯牛が悲運に見舞われる」という事態を理解で
きない.これに対し三報論では,「仏教の応報には,善行悪行の報いを現世のこの身において受ける現報のほか,来世において受ける生報,さらにまた二世・三世・百世・千世の後において受ける後報の,合わせて三報がある」と指摘して,この「矛盾」を解決している.
この手法は現代日本の曹洞宗の修証義でも踏襲されており,倫理の基礎を提供している.


 現在の脳科学が倫理の進化学的基礎を明らかにするまでは,これが人間の罪の意識や倫理の最深の基礎をなすものであったと思われる.ちなみに脳科学によれば,社会的動物である人間は,集団社会生活にうまく適合するよう,倫理の脳回路を進化により発達させてきたとされる.


 以上本書は,中国人に限らず,日本人など東アジア人の倫理的基礎を明らかにしたものであり,貴重な書籍である.定価は2,800円であるが,天皇陛下に負けないためにも,一読に値すると考える.


水谷潤太郎
日本上下水道設計株式会社
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