書評: 『脳の科学と仏教的世界観』
         佐々木閑著、「脳を知る・創る・守る・育む⑪」(㈱クバプロ発行)に掲載
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今や脳科学は、自然科学の単なる一分野というより、人文科学まで含む全ての学問分野の基礎となるものだと認識されつつある。
宗教学や倫理学においても然りであり、宗教の脳科学や倫理の脳科学が真剣に研究されている。企業のCSRなどもこの点からさらなる考究が必要とされよう。


NPO法人・脳の世紀推進会議では「脳の世紀シンポジウム」を16年前から開催してきており、2008年9月にも開催された。その際、佐々木閑氏により「脳の科学と仏教的世界観」という講演が行われ、その内容が本2009年の「脳を知る・創る・守る・育む⑪」に掲載されている。最も科学的に仏教という宗教をとらえたものだと思われ、一読に値すると考える。


本書によれば、日本人は一神教の世界観が刷り込まれていないので、(脳)科学を身につけるには大変有利な立場にあるとされている。
釈迦の仏教は、現在の日本人が考えている仏教とは大きく異なっており、「無我」の思想を中心としたものだとされている。仏教以前のインドでは、「我(アートマン)」が存在し、それが「神(ブラフマン)」と一体化することによってわれわれは救われ、永遠の幸せを得るという宗教だった
が、釈迦が現れてそれを根本的に否定し、外部からわれわれを救ってくれる超越者はいないとした。それと一体化すべき「我」、つまり自分も存在しないことになる。無いにもかかわらず、精神のさまざまな活動のなかで、あたかもそういうものが一個存在しているかのように錯覚を起こし、その錯覚がわれわれすべての不幸の元だとされている。
脳科学の一説に、サルから人間への進化の間に道具を使うようになって、使う私と使われる対象という区分が現れ、そこで初めて「自分」が現れてくると説くものがある。釈迦の教えはあるいはこの類かもしれない。
こうしてみると、仏教と(脳)科学は非常に近い立場にあり、同じところを目指していると言えよう。


日本人は仏教的な世界観で宗教的にものをみると同時に、サイエンティストとしても何の矛盾もなく同時存在できるという、ほかの国にはない非常に恵まれた立場にいるので、「私」という錯覚が崩れていくこれからの時代、そういった日本文化の特性がまずます重要視されていくとされている。ただ、釈迦の仏教についてはそのとおりかもしれないが、現代の日本人が考えている仏教までそうなのかは不明である。この点は佐々木閑氏も明言していない。
CSR&SRや倫理など、こうした日本人の優位性?から再度見直してみることも必要かもしれない。


本書は1,200円と割安であり、他に損傷脳の生存戦略、ニューロ・ソーシャルサイエンス:経済学の視点から、神経変性疾患の治療に向けたタンパク質の品質管理、ブレインマシン・インターフェースでわかる高齢脳の力などの論文も掲載されている、内容豊富なものであるので、一読に値すると考える。
㈱クバプロからは他に「科学者が語る科学最前線—解き明かされる脳の不思議、脳科学の未来」などもだされており、併せてご覧になるとさらに知見が深まると思われる。
ただ本当に世界の最前線であるかは、日本人学者の英語力の問題があるので、なんとも言えないところである。北米神経科学会などの脳と意識の問題を研究している会合では、脳科学だけでなく、物理、数理科学、哲学など幅広い領域を総合的に見通して議論しているが、そこで行われている英語の議論についていける日本人は、まずほとんどいないと指摘されている。(茂木健一郎、日本語で考える科学は亡びるか(ゲスト水村美苗)、日経サイエンス2009年7月号)しかし、私たち平均的な日本人が接近できる科学最前線という意味では、そのとおりであろう。
水谷潤太郎
日本上下水道設計株式会社
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